书城文化宁波:这方水土这方人
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第2章 寧波人の故郷

寧波は「甬」と略称される。中国の東海に面し、長江デルタ地域の東南部に位置している。総面積は9817平方キロメートル、そのうち2009年市内面積は2462 平方キロメートルある。現在、海曙、江東、江北、鎮海、北侖、鄞州という六つの区と、象山、寧海という二つの県と、余姚、慈渓、奉化という三つの県クラスの市を管轄している。2009年末の統計によると、戸籍人口は571.02万人で、そのうち、市内の人口が221.83万人である。出生率は7.92‰、死亡率は6.02‰、自然成長率が1.90‰である。

寧波は歴史が古く、7000 年余りの文明を持つ「河姆渡文化」の発祥地である。唐代において、すでに「海のシルクロード」の出発点として、揚州、広州と並んで、対外貿易の三大港湾となり、また、宋代には広州、泉州とともに、貿易港のトップスリーとなった。鴉片戦争以後、『南京条約』によって開港された五つの通商港口の一つである。

寧波は美しい港町であり、歴史文化名城であり、また豊富な文化財を誇る観光都市でもある。寧波は伝統を受け継ぎながら活気が溢れている。自然の趣が都市の韻律とよく融合している。寧波は「東方大港、河姆渡文化、名人故居、儒商の源、仏教聖地」という美名を持つ土地である。寧波の山水は変化に富む特徴を持ち、人々の心をひきつける。「雪竇山の奥深い谷に滝をかけ、断崖絶壁が聳える千丈岩」という詩で詠まれているように蒋介石の故郷である渓口鎮の雪窦山が国家風景名勝区と指定されている。また、「西湖のあでやかな姿を持ちながら、太湖の勇ましい勢いを有する」東銭湖、「白い砂浜、果てない青空」が見える松蘭山、透けてみえる肌にやさしい天明山の南渓温泉、依然として聳えている招宝山の海防遺跡などの数え切れない旧跡名勝がある。

そして、寧波には多くの名人が集まっており、文化事業、科学技術が進んでいる。史上レベルの高い、地方特色のある学派がいくつか確立された。たとえば、四明学派、陽明学派、浙東学派などが挙げられる。それと同時に、虞世南、高則誠、王守仁、朱舜水、黄宗羲、万斯同、全祖望、張煌言などの文化名人が現れた。寧波には蔵書文化も深く、蔵書が何万冊を超える蔵書楼が大量に現れ、400年以上の歴史を持つ天一閣蔵書楼がアジアでトップとされている。王守仁によって創立された「陽明学派」は海外にも伝わっていた。黄宗羲が提唱した「浙東史学」が中国史学界に強い影響を与えた。

寧波の仏教文化も名高く、「二十里行くと松林が尽き、青山が梵王宮を捧げる」という詩がまさに禅宗五刹で第二位である天童寺の描写である。阿育王寺には釈迦の舎利が珍蔵されている。雪竇山が全国の仏教の五大名山の一つで、保国寺が長江の南部で最も古い木造建築である。

奥深い文化はたくさんの伝統工芸を生み出された。例えば骨と木の象嵌、寧波式家具、赤金の木彫、金銀の彩り刺繍などがあり、いずれも材料を厳選し、技術がすばらしく、ユニークなスタイルを持っている。

寧波は中国商人の発祥地でもあり、有名な華僑都市でもある。「寧波邦」は国内外に名を揚げている。現在67の国と地域で約30数万の「寧波邦」の後裔が活躍している。

今日、寧波は浙江省における経済の最も活気の溢れる都市の一つになり、5つの経済管理権限を持つ単独計画都市の一つとされた。2009 年、一人当たりGDPは中国の都市で第14位である。

寧波は浙江省東部の交通中枢で、陸、海、空、川などの立体交通網が古くから形成されていた。櫟社空港が香港や全国各地の重要都市と空の便で結ばれている。「東方大港」と呼ばれる北侖港は世界でも名を馳せた優良港であり、中国で第二位の港として、上海国際海運センターの重要な一部となり、世界100ヵ国の600あまりの港との間でコンテナ定期便が開通される。